手術直前 直後
それではまだ記憶が新しいうちに。
家族が8:30までに病棟に揃いました。
私は手術着と弾性ストッキングを履き、廊下の談話ソファにてお迎え待ち。
まだふざける余裕が有ります
そして、お迎えの看護師さんが近づいてきます。
ここで初めて、いよいよかー!と感じ、熱いものが込み上げて来ました。
家族と別れを告げ、看護師さんに励まされながら歩いてオペ室に向かいます。
オペ準備室。
オペ室手前の部屋で、椅子に座らされ、手術中の帽子を被り、スリッパに履き替えます。
そして、ここで異常事態発生!
さすがです、やはりイレギュラーな事が、いつもなら起きない事が起きてしまいます。
先にオペ室にいた患者さんが、今正に目の前で出てきました。
「もうヤダーーーー!!殺すぞ!ギャーーーーーーーーーー!」
上半身をベッドに拘束され、衣類がはだけるほど身体全体で暴れまくる女性。
多分同世代。
完全に錯乱状態です。
付き添う看護師さん達がなだめても一向に落ち着かず、目の前で終末的な光景が繰り広げられ、、、
「これは、、?手術の後ってこんなんなっちゃうんだっけ???こ、、怖過ぎる!!!」
冷静に考えればそんなわけ無いのですか、手術直前の緊張どピークに、この光景、、、。
思わず顔を手で覆う私。
何故か涙まで。
恐怖と、目の前の彼女の苦しみが、一気に自分に感染してしまった感じでした。
察した看護師さん達が必死に、
「大丈夫!通常、手術の後はそうじゃないから。あの患者さんは、精神科の方で、今、症状が一番強い状態の方なんで。大丈夫大丈夫。」
ずっと私の背中をさすってくれていました。
こういう時、誰かが背中をさすってくれるというのは、凄い効力なんだなーと知りました。
人間って、まるで映画の中で出てくるような、塔のてっぺんに何年も幽閉されてしまった登場人物のように、本当に壊れるんだと、なにもこんな手術の直前に思い知るとは、、、。
看護師さん曰く、通常このタイミングで手術前後の患者同士はバッティングしないはずだとか、、、。
流石だ、私。
落ち着いた頃、いよいよ手術室へ入ります。
一番の印象は、意外と色々なもので溢れた空間なんだなーという事。
ドクターXみたいに、真っ白で何も無い部屋では無かった。
昔足の手術で別の病院でもそうだったけど。
ベッドに寝かされつつ、慌ただしく準備を淡々と進める光景を観察する。
担当の女医さんが
「今日手術するのはどちら側ですか?」
と、最終確認。
左側である事を伝える。
手術担当の看護師さんが、終始近い距離で超絶優しく手引きをしてくれる。
今回の担当医は、外科医だけで6人。聴覚モニターしながらの先生や麻酔科でも数名。
直前お話しした事も無い先生方含め10人以上??の方々が、私のこの病気を治す為に、今ここに集まって用意して下さってるんだという、プロフェッショナルな空気感が凄かったです。
ベッドで体制が整うと、直ぐに利き手と反対の手の甲に点滴針が刺されました。
そして、程なく
「今からこの点滴から麻酔のお薬入りますよー、はい」
そして、
ズンッ!
ズンッ!!
胸の辺りに、何か重い石みたいな物が乗っかるような、貧血で記憶が飛びそうになってる時みたいな感覚を覚え、
多分
「え、なんだろ?やばいやばい、やば、、、」
と、口に出して言ってまして、そのまま落ちた気がします。
「・・・?」
この天井はどこか処置室とかかな??
ぼんやり目の前を知らない男の人や女の人がせわしなく何か作業してる様子。
顔など細かい事は分からないけど、シルエットでそれが手術後で有り、麻酔から自分が目覚めたのだと直ぐに理解出来ました。
そして、次第に、知らない天井じゃなくて、自室の天井だと気付きました。
ただ、見上げているのは知らない場所だと強く感じたことが印象的でした。
「生年月日とお名前教えて下さい」
心の中で、長い!言うのめんどい!と思ってた気がしますが、どうにか声に出せました。
喉に管が入っていたせいで少しかすれましたが、しばらくして普通の発声に戻りました。
これ、元に戻るの、ひどい場合数日かかる事もあるそうです。
「戻りました!ご家族呼んでー」
これが既に夜の18時過ぎてたようです。
朝9時オペ室入りから9時間。麻酔かける前と麻酔から覚めた時間差し引いて、約8時間のオペだったようです。
通常6時間と言われているので、少し長引いた様子。
あ、私が麻酔から目覚めたから家族呼ばれたんだな。あれ?そういえば、喉に入れる管はもう抜けてるんだね?とか、わりと状況はすぐに理解出来ました。
そうしてるうちに、視界に家族の顔が見える。まだぼんやりとだけど。
「よく頑張ったね」
と、母や姉や旦那の声が聞こえました。
仰向けの身体を創部と反対側に倒した瞬間、最初の吐き気が、、、。
すぐに看護師さんや家族が、吐瀉物を受ける容器を用意してくれたり、背中をさすってくれました。
心の中で、
「コレか!例の吐き気とやらは!」
一度吐いてしまった後は、特に大きな吐き気などは有りませんでした。何故なら、
「点滴に吐き気どめを入れておきますね」
これのおかげです。
別の患者の方で、吐き気について書いてる方は多かったですが、あらかじめの吐き気どめのおかげで、耐えられない程の事は後、一度も有りませんでした。
輸液の点滴は基本ずっと続く中、脳圧を下げる点滴、血圧が150を超えたのでそれを下げる点滴、抗生剤の点滴などなど、、、。
モウロウとした頭で記憶してるのは、その辺りでした。
頭は、圧迫包帯の圧が凄く、創部にはガーゼや包帯の分厚いコブが有り、頭の置き所がいつまでたっても見つからず。
反対の後頭部に傾けると、何か分からないがガンガン痛い。
とにかく頭の全体が、引っ張られるような、締め付けられるような痛み。
傷が痛いのとは違う感じ。
寝返りは好きな方にうって良いとの事。
他の病院では、創部側は下にしてはいけないという指導もあるらしいけど、ここでは好きなように寝返って良いらしい。最近では、特定の向きに寝続ける方が合併症などのリスクが大きいという考えのようだ。
とは言っても、左手の甲には点滴針と指に酸素モニターの機械。右手の指には心電図の機械、胸にも心電図のパーツがいくつか。
顔は酸素マスク。尿管に血栓防止の機械がシューシュー。
寝返りうとうとすると術後の着物もはだけても自分で治せないし、心電図や尿管も出てるから絡まる絡まる。
そして、暑い、、、。
マスクが変な位置にずり落ちてきて気になる。
母がなおしてくれたりと、付き添いが居る間はまだ良かった。
皆が代わる代わる暑がる私を扇子で扇いでくれた時の爽快感は、凄く覚えてる。術後の温度管理、もう少しどうにかしてほしいものだ。
基本病室は、暑い。
多分、旦那が、冷たい濡れたタオルで顔を拭いてくれた。
ずっと水分を取れて無いので、口の中がカラカラで不味く、油断すると喉がくっついて息が出来なくなりそうだったが、姉が口腔ケアの道具を使い、口内を潤してくれた。
コレが凄く良かった!
医療用手袋をアルコールで消毒し、この口腔ケア用ウェットティッシュで、歯茎、上顎下顎、舌を撫でるように拭いてもらう。水は飲んではいけないけど、拭き取りのケアは看護師さん確認の下、OKとの事で、ほんとーーーーに!スッキリでした。これやって貰うと貰わないでは雲泥の差とも思います。
で、仕上げには
口の中を潤すジェルを使い捨ての専用スポンジで塗ってもらうという。
姉は、自分で物を飲み込めない患者さんが、自力で吞みこめるようになる為の、この方面の仕事が専門なので、とっさに気がつき売店でこのグッズを買って用意してくれたようだ。
至れり尽くせりだった。
しかし、家族が去った後が、長い長い夜だった。
マスクで蒸した顔周り、身体を動かす度に点滴の管が詰まったというピロリ!というしつこい警告音、心電図がズレるとキンコンキンコン、それらを鳴らさずにいかに身体の向きを変えるか、、重い身体の向きをやっとの思いで変えたところで、管や機械のケーブルが邪魔で身体の位置付ける場所がなく、全身に無駄な力が入る。
特に首回りは、もうどの向きにしても痛い。
後頭部も、どちらに偏った状態にしてもズキズキ。
二日後頃に分かったのですが、この時の頭の痛みの原因の半分は、手術しなかった側の余計な髪をまとめたゴムの結びの目の塊と、髪が長時間引っ張られてる事だったんです。
オペ時邪魔だからブロッキングして、4つくらい束に分けてゴムで縛るだけで、術後は解いても何ら問題無いもの。
けど、モウロウとしてる中では、自分では気づかなくて当たり前です。
とにかく、頭のどこを下にしても痛かった原因の1つはコレでした。
消灯後も、細かに訪れる看護師さんは、熱と血圧を測り、その時ごとに体勢を変えてもらい、口の中を潤してもらい、顔も拭いてもらい、どれくらい時間が経ったのかも分からず。
この苦しさがずっと続くんじゃないかと思える長い長い夜になり、結局、一睡もする事無く、朝を迎えました。
1つコレだけは言いたいのは、とにかく看護師さんの対応が素晴らしかったという事。
この日担当して下さった方、こちらがお願いした事以外に必ずプラスアルファが有り、言葉でも、こちらがお願いしやすいような声掛けをして下さる方でした。
この日は、他の部屋からも点滴のアラームが頻繁に鳴りまくり、私の心電図音、歩行困難な方からのナースコール、今思えばあの日は他の日よりも相当慌ただしい気配があった中、一度たりとも嫌な思いをさせずに!!対応して下さいました。
こんな凄い仕事をしてる人が居るなんて。
ただただ頭が下がります。