入院12日目 〜術後7日目〜
術後の経過7日目ですが、まだ一度も痙攣が戻ってきたりが有りません。
先生に聞いてみると、中には術後一度も術後痙攣が戻る事なく、ピタリ!!と止まる事もあるとか。
大半の場合は術後数日で痙攣がまた起こり治り、起こり、治りと一ヶ月位〜長いと3年くらいかけて完全に収まって行くパターンの方が多いそうです。
それにしても、前日夜から創部痛みが酷く、夜消灯前に飲んだ鎮痛剤が効かず、ほとんど眠れていないまま朝を迎えました。
身体を横にして、頭が低くなると痛みが増す感じです。
創部の表面はチクチク、その奥の方は脈を打つようにドクンドクン。
そして、寝起きの採血。
これが結構、連続だとつらい。
今日は、また午前中に頚椎レントゲン CTでした。
一人で本館へ移動して外来に混じって順番待ちのCT検査。
痛みで眠れてない事や微熱がずっと続いている状態で体力的にまだスタミナも無く、移動の為に歩いていると、目眩やフラつきが有りました。
順番待ちの間も、椅子に座っててもどんどん意識が深い所に落ちていくような感覚。
検査結果は、良好でした。
髄液漏れ無し感染症無し。
それから、女医のH先生からは、やはり片目が開き気味なので意識して閉じきるようにとの指示が有りました。
乾きに対しての目薬の点眼は、気づいたらこまめにやってみてます。
ここまで来ると、我慢出来ないような苦痛な出来事もほとんど有りません。
シャワーも自由に浴びれますし、食べたいものも食べれてますし。
楽しみといえば、リハビリ兼ねて、結構な距離の売店まで歩き、野菜ジュースとかカップスープとかの買物に。
あとは、夜は必ず2時間おきくらいに目が覚めてしまうので、昼間は眠らない事にしてます。
眠くもならないのですが。
ただ、まだフラつきや疲れやすさも有るので、時々は目を閉じて横になってなりますが、基本身体を起こして過ごしてます。
過ごし方と言えば、
私は今回、タブレットを持参して、ポケットWi-fiもネットレンタルしました。
申し込んで自宅に届き、契約期間までに同封された梱包袋に入れて同封されて伝票に記載して送り返すだけです。
なんて便利なんだーーー。
エリア検索して、ギリギリ電波提供エリア。
パソコンは原則ダメとなってましたが、タブレットは電話の範ちゅうなのか否か。
けど、これはやっといて良かった!!
ほんとに!
電話と考えた場合、ここの病棟では、廊下はほぼ通話可能。
無菌室等の特殊な部屋の前など一部を除いては。
なので、結構廊下で電話してる人も多く、特に気を使わない環境です。
同室で車椅子の方は、御家族からのちょっとした短い通話なんかは、ベッドの上です済まされていました。
動画見たり本読んだりする、絵を描いたりゼンダンクルや塗り絵したりでテレビは一度しか見ませんでした。
術後、何も出来なくて時間を紛らわせる為。
ここは全てのベッドサイドにテレビが備え付けられています。視聴するにはテレビカードをデイルームの自販機で購入します。
このテレビ、観たい時に画面を引き出せ、そうでない時はこのようにしまって置けるので、必要無い人にはスペースを有効に活用出来てなかなかの優れものです。
冷蔵庫もテレビカードで使用できます。
私は差し入れで貰ったフルーツ類や野菜ジュースとかを冷やす為に、冷蔵庫はフル活用してます。
あと、この冷蔵庫の下に足元用の照明が有って、ここに立つとセンサーでライトが付くという。夜中トイレに立つ時、スリッパの位置が分かるので、これも便利です。
大部屋なんですけど、一人スペースがと4畳くらい有るし、設備も整ってるし、今の所、何も言うことない毎日です。
入院11日目 〜術後6日目〜
今日は日曜日の為、特にスケジュールは無い予定です。
体調的には、引き続き血圧が少し高いが続き、微熱も変わらず。
軽めの頭痛も続いています。
本来なら我慢出来る程度でもあるのですが、少しでも1日を快適に過ごしストレスを感じない入院生活を送りたい事も有り、ここはとりあえず気にせず痛み止めを飲むことにしてます。
飲まなかった場合は、おそらく痛さのせいで日中横になるしか出来ないので、それはそれでもったいないし。
三度のご飯以外にも色々と楽しまなきゃね、と。
痛み止めが効きはじめ、今日は絵を描いたりゼンダンクルやったり、本当読んだり。
日曜日は、周りの患者さん達の面会の方々も沢山来てて、賑やかで楽しげでいい雰囲気になります。
うちの旦那さんも夕方登場。
私が食べたそうな差し入れを、スーパーの袋いっぱいにして!
有り難いです。
食事制限は全く無いので、即、デイルームにて2人で食べました!!!
久しぶりのジャンクな食べ物。身体に決して良いわけでは無いものを、何故人の身体は求めるのでしょうか??
本当に謎です。
身体に良いものだけでは満足出来ないなんて、病気になって然るべきです。
とは言え、本当に至福の時間で有りました。
そして、これは母が旦那に預けたドライフルーツ。
カラフルでキレイ!
こんなに色々食べつつ、18時過ぎの夕飯の時間が来ると、デイルームで私が少し席を外した合間に、そのテーブルにさっと夕飯を運んでくれた看護師のK様!
術後に夜通し担当してくれた方で、彼女のこの気の利きようは、天職だと思います。術後対応の時からそうでしたが、あの夜担当してくれたのが彼女だったのは、私はラッキーだったと思います。
散々お菓子食べた直後の夕飯も完食!
太って行くであろう自分が容易に想像出来ます。
旦那さんからは、顔の浮腫みがだいぶ取れたねとの事。
術後数日、ずっと横になる生活だった為、いつもより顔が浮腫んで居ました。
少しずつ、様々な事が「いつも通り」に戻って行く。
その事が、当たり前では無く、凄いことに思えるという、普段は無い感情。
面会時間は19時までなので、夕飯終わると同時に食後の運動兼ねて、エレベーターで10階から1階まで降りて、別館に移動し、出口外まで出てみました。
家族なのに、いつもと違う建物の前で、
「じゃあね!!!」
と、手を振りあうのって、不思議な感覚。
まだ外は寒いみたいです。
入院10日目 〜術後5日目〜
5日目
痙攣はまだ今日も無し。
毎朝の計測で、血圧がなかなか下がらない事が分かる。
150超え。
微熱。
37度代の横這い。
最初の頃のギチギチ包帯のストレスは、今では巻き直ししてもらったりで、かなり楽に過ごせるようになりました。
けど、ほぼ一度も連続して熟睡していない為、朝からいつも頭が重い。
ので、毎朝痛み止めは処方してもらう。
先生達に確認しても、間6時間以上開ければ大丈夫だから、我慢しないでいいよ!
と仰るので、
ロキソニンは私は眠くならないので昼間に。
ただし胃が弱い為、
夜は眠気が強いけど肝臓で効くカロナール。
午前中に鎮痛剤が効いてくると、色々活動したくなります。
この病棟の廊下を移動するくらいなら、少し息が切れる程度で済むようになり、食後の歯磨きや朝の洗顔なんかも、それはもう丁寧に丁寧に
時間をかけて行います。
そして何と!
点滴が終わった事により、ようやく首から下までシャワーが浴びれます!!!
看護師さんが早めに教えてくれたので、とりあえずナースセンターに行き、シャワー予約用のホワイトボードに早速記入!!!!!!!
11時から浴びる事にしました。
とにかく早く!!
けど、ここまで正直、看護師さんから身体拭いて貰ったり、蒸しタオル貰って自分で拭いたり、寝巻きも2日目から毎日換えることが出来てたので、そこまで不快感無く過ごせてました。
しかし、髪の毛はさすがにかなりヤバイ状態だったので、アルコール系のボディシートで創部から離れた場所のみ拭き取ってみました。
これが結構当たりで、乾燥するとサラサラに!!
そしてシャワー、やっぱり気持ち良い!!
包帯濡らさず気をつける事も、そこそこどうにかなります。
もし濡れたら交換してくれると看護師さんも言ってたので。
まだフラつきは心配で、介護用チェアが洗い場に有るので、基本座って浴びる事も出来、洗い場も明るくて清潔で、何も言うことは有りません!
何なら、前に使った人の髪の毛一本落ちてない清潔感です。
とりあえず首から下だけなので、持ち時間は余裕で余りました。
そして、少しだけ溜まった洗濯物類を、シャワールーム出てすぐ側に有る洗濯機で洗いました。
こんな1つの何でもない事も、楽しくて仕方なかったです。
ここ数日で、人に頼まなくて何でも出来るという事がどれだけ人間には大切な事か、思い知りました。
それにしても、ここへ来て常に気になったのは、看護師さん達の意識や思いについてでした。
とくに、寝たきりの3日間の間、そればかり考えてた気がします。
天井見る以外出来る事無かったし、看護師さんの手伝いが無ければ何も出来ませんでしたから。
彼女達の日常の中心には、毎日患者がいますよね。
介助なく生きられない人が毎日沢山目の前に居て、常にその現実を目の当たりにして、何を思うのか。
自分の将来に重ね合わせたりする事も、リアルに出来てしまうだろうと思う。
そういうのって、辛くは無いだろうか?
私は離床までの数日、同じ部屋で私以上にずっとずっと長く、もしかしたらこのままずっと、自分で体の向きを変える事も、
トイレに行く事も、
何かを訴える事も出来ない他の患者さん達と過ごし、
自分の将来を初めて怖いと感じました。
そういう光景が日々の中心に有りながら、なぜこんなに大変な仕事を選択し続けていられるのだろうか。
本当に、大変なんです。
下の世話をするのも、ベッド拭くのも、身体拭くのも、御飯出して食べさせて片付けて、薬飲ませて、葉を磨かせて、ベッド下げて、尿道カテーテルの面倒見て、頭洗ってあげて、お風呂入れてあげて、呼び出されたなんでもとりあえず行って、点滴あちこちでアラームなっては取り替えて、血圧、体温、血糖値、調子悪そうな方への先回りのお薬などの提案、点滴の内容の提案、採血、ワガママ迷惑行為の患者への対応。
全てが笑顔で。
信じられないけど、本当に。
どれだけ救われた事か、、、。
夜中身動き取れないで苦しかった数日は、彼女達のくれる言葉だけが頼りで、励みになってました。
私はこの時点、一度も嫌な思いをしてません。
彼女達自身、目の前の患者のようになった時、どういった終末の形を迎えたいとイメージしているんだろう。
恐れ多くて、尋ねることは出来ませんが。
患者と言えば。
患者は面会者が来ると、患者Aさんから○○さんに戻る、そんな感じがしました。
大部屋では、全員Aさん、Bさん程度の背景しか見えてこない。みんな同じ感じ。
おばあちゃん風なら、おばあちゃんA、おばあちゃんB。
看護師さんが一生懸命、体調やら御飯の事を話しかけても、みんな独り言みたいにボソボソ返す程度。
ボケちゃってていつもこんな感じの方なんだろうなぁなんて思ってたんだけども、家族が面会に来たら途端、喋る喋る!!なんだ、全然現役じゃないですか。
だいたいみんな、そうでした。
そこにいるのはおばあちゃん患者Aさんではなく、それぞれの日常が当たり前にあった事を思い知らされる。
まだまだ思いや心がしっかり生きてる。
今、身綺麗にして街中を歩いてるおばあちゃん、スーパーで買い物してるおばあちゃんと何ら変わらないはずなのに、ここに居るだけで、容れ物になってしまう。
ナース達は精一杯お世話をする。
しかし面会に来た家族のように、空っぽの容器に魂を注ぐ事は出来ない。
それが、病院という場所なんだなぁ。
それでも、彼女達の頑張りは賞賛に値する。
私が今こうして日常を取り戻した今日も、あの10階の病棟を行ったり来たり、繰り返している姿をイメージすると、今となっては不思議にさえ思えてくる。
(書いてる今日は、術後20日になります)
そこに有った世界は、幻だったんじゃないかと思うくらい、通常の生活とは非現実的な場所なのだ。
そう思えている理由は、自分がそこを必要としない生活に戻る事が出来たという事だ。
夕方別の棟のそこそこ距離の有る売店まで歩いてみました。
途中何度か意識がふわふわ、立ち止まると頭がじんわり。
一瞬だけ外に出てみると、外はまだ寒かったです。
シャワー浴びてリフレッシュし、持参してたこの本で遊びました。
編集者の友達が以前担当したゼンダンクルの本。
パターンの繰り返しが基本で、色んな模様を派生させたり絡めたり。
黙々とやってたら、結構時間経ってました。
脳の運動にもなった感覚です。
持ってきて良かった!
夕飯は、こんな感じ。
麻婆豆腐は、2回目。
辛味を抑えて有りますが、けっこう美味しいです。が!私は元来かなりの大食いなので、この量の少なさが既にストレスになりつつ有ります。
入院直前、旦那さんは私が好きな夕飯のメニューを三夜連続作ってくれました。
その中の1つが、四川風麻婆豆腐。
最近の彼の傑作です。
早くお腹いっぱい食べたい。
入院9日目 〜術後4日目〜
術後四日目
痙攣はここまでも一度も無し。
食事が取れるようになると、体力の回復が急に早く感じられて来ました。
毎日付き添いでいてくれた母も、昨日今日の回復には少し驚いている感じです。
術後丸2日あたりと比べて。
当たり前と言えば当たり前なんですが、患部が臓器では無い分、早いのかなーと自分では感じてます。
点滴終わる日程までは、安静!とは言われてますが、トイレなどは積極的に自分で行ってもオッケーとの事。
身体を起こしたり、動かすようになると、顔のむくみもかなり取れて来ます。
口元も自然に上がってます!
しかしまだ疲れやすく、すぐに横になりたくなります。
5泊で付き添ってくれていた母も、今日のお昼中には新横浜から新幹線に乗る為、朝病室に顔を出してくれました。
面会時間外ですが、家族のそういった事情には全く柔軟に対応してくれますので、ご安心を!
土地勘無いのに、一人でレンタカーで新横浜まで、、、。心配。
点滴台ガラガラしながら、エレベーターホールまで母を送る事が出来る所まで来ました。
その姿見せる事が出来たので、多分安心して帰って貰えたと思います。
ここでようやく、母が帰った連絡として、父に電話。
誰かとの電話も、ここでようやく初めてでした。
今日は、特に大きなイベントといえば、
朝の点滴と夕方点滴のみ。
ここまでで、張り切りすぎたか、身体はかなりバテた様子で、午後はグッタリ横になってましたが、眠る事は無く、ただ目を閉じて過ごす数時間。
夕方起きて、ベッドに座り、母が持って来てくれた塗り絵をしてみる。もう、そういう事も短時間なら出来ます。
夕方四時から最後の点滴。
コレが終わり、ようやく腕から針が抜けました!!!!!!!!!
首から下で身体を縛るモノは、コレで全部無くなりましたーーーーー!!!!!!!!
(包帯は当然、まだ外せません)
包帯は巻いてから時間が経つとキツくなる性質があるタイプだそうで、時々看護師さんに治してもらうようになりました。
もうすぐ自分で包帯する指導の予定です。
しかし、まだ血圧140超え。
熱は37度代。
高血圧は、せっかく移動させた血管をまた引き戻してしまったりする恐れも有る為、出来るだけ上がらない体質に持って行きたいのですが。
入院8日目 〜術後3日目〜
今日は待ちに待った術後3日目 !!
離床予定日です!!!!!!!!!!!!
たった数日でしたが、どんなに待ち遠しかった事か。
しかしながら、今朝の目覚めは最低な始まりでした。
よく眠れたのは、昨日だけ。
たいして動いてないのとまた蒸し暑いのと、身体痛いので、浅くずっと起きてる感じで夜中過ごしてました。
そんな中、多分明け方4時頃
「ちょっとちょっと、〇〇さん、ダメですよ!!!すみませーーーん、誰か来てくれませんか!!」
と、少し離れた部屋から看護師さんが叫ぶ声が。
只事では無い様子。
しばらくすると私の部屋の真ん前で、患者のおじさんが、
「こんな所居たら殺されるわ!!今すぐに帰るから先生呼べ!それからうちのカミさん電話で呼べ!!!!」
会話の内容から、どうやら寝たままずっと穏やかに点滴してたおじさんが、なぜか突如起きて点滴抜いて騒ぎ出したという状況が分かりました。
看護師さんは、終始穏やかに対応。全く感情的になる事なく。
「お前なんかに世話されたら死んじまうわ!」
みたいな勝手な事を繰り返し、部屋にも戻りたく無い、デイルームにも移動する気は無い、医者を呼べ!の繰り返し。
私のベッドは、カーテン隔ててすぐ廊下ですし、病室のドアは終始開いている管理状況の病棟です。
ワガママオヤジの声を聞き続けること2時間くらい。
早く日勤の看護師さんか先生か奥さんか、来てよーーとずっと願っておりましたが中々人も来ず。看護師さんは捕まりっぱなし。
夜間、看護師さんは本当に人手不足なんです!!!!
1人で6〜12人の患者の面倒を見てるんです。
その担当看護師さんを1人でも独占されてしまうと、
夜間付き添い無いとトイレ行けない他の患者さん、
オムツ変えて欲しい患者さん、
喉が乾いてお水取って欲しい患者さん、
痛み止めを今すぐ届けて欲しい患者さん、
うるさい点滴アラームを止めて欲しい患者さん、
みんなが待たされる事になるのです。
もちろん、この時、他の部屋の担当の看護師さんがヘルプされてたようですが、明らかに間に合ってませんでした。
本当に、迷惑!!!! 何年人間やってるんだーーーー!!!
そんなサイテーな朝でした。
ところで本題の痙攣ですが、ここでもまだ一度も出ていません。
血圧は、術後高め続きで毎度146/85くらい。
熱は37度くらい。
瞼の閉じ方弱い点については、目薬で乾きを防止。
頭の内部の頭痛が鈍く続いてるので、毎朝鎮痛剤と胃薬を処方して貰ってます。
傷の痛みは術後ほとんど有りません、有るのはその筋肉周辺のドクドクするタイプの痛み。
水や食事取れるようになる前までは、点滴の鎮痛剤や座薬で。
昨日のCTとレントゲンの結果は良好だったので、朝の先生方の訪問やら朝食やらが落ち着いた頃に、担当看護師さんから、
弾性ストッキング
指先の酸素モニターの機械
胸の心電図の機械
を取ってもらいました。
そして、身体拭きのタオルと新しい寝巻きも。
自分でトイレ!!
歩いて良い!!
ホントにホントに!
やっと人らしく振る舞える。
点滴台に捕まって、看護師さんに付き添って貰いながら、ガラガラガラガラ、、、
おぉー、力が入らずフラフラ、、、、。
頭動かすと回る。
けど、足取り結構しっかり!
行けます!
しかし、
それ以外の楽しみは、相変わらず食事の為体を起こして良い事、歯磨きが終わるまで。
スマホとか、目を使う事はこの辺りでほんの数分なら出来る気分ですが、ちょっと見てるだけですぐに疲れてしまいます。
テレビなんかも一応観れる場所に有るのだけど、観たい気分では無い、そんな感じ。
相変わらず包帯の締め付けがかなりの苦痛で、看護師さんに巻き直ししてもらい、楽に!!
巻き直してもらう事自体は、何度でもお願いすれば大丈夫のようです。
術後から連続していた点滴は今晩で終わり 、
明日の昼と夜の二回で、全て終了予定。
針がずっと刺さっていた手の甲はパンパンに浮腫んでます。
あと少しなんだけど、別の場所に差し替えをお願いしたところ、左手から腕までの細胞全体が浮腫んで血管が細くなりさせる場所が見つからないとの事で、利き腕の右側に差し替えて貰いました。
イヤー、細胞とか!人間の身体は本当に色々機能が有るんだなーとか対処が有るんだなーとか、面白情報満載です。
私の私生活には役に立たなくても、勉強になります。
目薬は引き続きさしてます。
瞼閉じ切らない自覚は無いのだけど、先生の注意を守って。
今日はホワイトデーでした。
自力で歩くようになった今日、いよいよ食欲は本格的に戻って来たので、旦那さんからの差し入れホワイトデーチョコレートを食す事が出来ました!!間に合ったw
入院7日目 〜術後2日目〜
はーーー
よく寝たーーーーーーーー!
術後2日目の朝の採血やら血圧測定やらで目覚めた朝、多分幻覚見えてたうつらうつらしたあたりから数時間でしたが、ようやくぐっすり眠れたようです。
手術後初めて眠れました!!
昨日は、検査や器具が取れたり、身体拭いてもらったりイベント多目でしたが、今日は入院スケジュール表見ても全て空欄!
胸にはゴテゴテした心電図の部品とケーブル。
左手の甲に点滴。
右手の指先に、酸素モニターの機械。
足は弾性ストッキング。
ガチャガチャした感じは変わりません。
寝返り打つと、身体から出てる数々のケーブルのせいで寝巻きがはだけるのですが、自分で上手く直せず。
ズボン寝巻きの選択肢もあったのですが、暑いし、開放感無くなるとまたイライラが募りそうなので、諦めてはだけたままでいいやーーーーと。
こういう時、羞恥心などは何処へでも行ってしまいます。
今朝の朝食も、まだお粥で、3口ほど。
今日は梅干しも活躍!同じ3口でも美味しく食べられました。
その他、ジョアとカットフルーツを数個。
水分は、ガブガブ飲んでます。
脱水に近い状態だったので、術後、ご飯は入らなくても、経口補水液が大活躍でした!!!
お薬の時などは、水。
夜間喉乾く時は経口補水液。
デイルームの自販機で売ってるので、旦那や母に買ってきて補充してもらい摂取してました。
食事は、三食ともそんな感じででしたが、夜に向けて段々と美味しく食べられる体調にはなってました。
点滴は、相変わらずです。
常時何かが入っています。
だいたいコレとか。
プラス、血圧下げるのが時々入ったり、抗生剤入ったり。
毎日の先生方の術後チェックの際、女医のH先生が、瞼の閉じ方が少ない事か気付いて下さり、そのままだと目が乾燥して角膜に傷が付く可能性がある為、目薬を処方して下さいました。
自覚は無く、他の先生からのご指摘も無かった中、目敏く気付いて下さるH先生の丁寧な対応に安心です。
とりあえず、日中はベッドを30度くらいに。
食事から歯磨き、飲み薬(食事が始まると胃薬が5日間出ます)までの間のだけ90度。
ささやかな至福の時ですが、あっという間に寝かされてしまいます。
私の場合、真っ平らだと頭全体がドクンドクンと血が上ってく感じが辛かったので、この時期から、しばらくは30度くらいで昼間夜も過ごしてました。
そして、自分で自分の頭や包帯辺りを触ったりする中。ようやく、、、看護師さんに質問。
「あのー、この髪を束ねてるゴムって、今も必要なんですか??」
「あ、それね、手術の時は髪が邪魔になっちゃうから縛らせて貰ってますけど、もう必要無いと思いますよ!先生にも確認してみますね??」
で、すぐに全然、必要無いと判明。
自分で外しましたが、なんとなんと!!
術後、手術側とは反対にも起きてる頭の痛みの原因は、完全にこいつらだった事が分かりました。
あーーーーーーー、
痛くなくなったーーーー。
なんだよーーー。
もっと、早く気付けば、、、。
コレが、適当に髪を束ねられ2日放置した後の頭の感じ。
ボサボサw
顔もパンパンに浮腫んでます。
ここで初めて自分の姿を確認したんですが、額の中心に何か赤い跡が!
包帯の真ん中にも、何か染みが!
包帯どかすと、
こうなってます。
これは、手術時に頭を固定した時の器具の跡で、それなりに一旦傷になってましたが、数日で消えます。
後頭部にも、一箇所点で腫れた場所が有りましたが、それも同じ理由で。
他の病院で手術を行った方は、おでこにホチキスの針が刺さったまま過ごされてる方も居たようですが、こちらではそのような固定方法でも無いようです。
刺さっていたと言うよりも、当たっていた跡という感じです。
この日も、午後の面会時間から、母がお見舞いに。
マッサージで癒され、変化の無い時間を助けてくれてます。
コレが無かったら、ホントにもっともっと辛かったと思います。有難い。
入院6日目 〜術後1日目〜
だいぶ体力が戻って来たので、さかのぼって記録していきたいと思います。
書いている今日は、術後13日目になります。
術後の昨晩から朝まで、本当に何度看護師さんにお世話をかけたか、、、
結局は一睡も出来ず時間も分からず、ただ天井を見つめ、
あらゆる痛みに我慢するしか無い、、、この辺りから背中や腰の痛みも出てきます。
「おはようございます!カーテン開けますよ!!」
主治医のF先生、いつもの、早朝出勤スタイルでのご様子伺いでした。
「調子はどうですか??はい、じゃあ目を軽く閉じてー、ギュッと閉じてー、パッと開いて!!うんうん、今度は口をイーーー、すぼめてウーーーー。うんうん、痙攣出てないね!!」
先生の目視としては、手術は上手くいってる様です。
私はこの時まで、術後の余りの苦痛の為、そもそもの目的をすっかり忘れていました。
痙攣が止まっているかどうかw
これから手術を考えてる方は、知りたいのはここですよね!?
そう、痙攣止まってます!!
私の場合、顔面の痙攣と引きつりはもちろんのこと、耳の中の痙攣がかなり深刻な状況でした。
瞬きをするだけで、耳の奥がゴソゴソ。
深い水の中に潜って耳の奥がボーーーワワンとなってるような、高い山に登ってツーーンってなってる時のような。
顔面に関しては、F先生が毎週土曜日だけいらっしゃる東京のTクリニックで、別のボトックス外来のO先生にボトックスを打ってもらっていて、それが物凄くすご技!それ以来かなり気にならないようになってましたが、耳だけはどうしようもなく、一番のストレスは、顔の歪みや顔の歪みよりも、耳の雑音でした。
本当に本当に疲れてました。
夜眠る時、静まり返っても聞こえるのは、自分が目や顔に軽く力を入れただけで起こる嫌な雑音。
そう!
これが鳴ってない!!
そして、顔周辺の痙攣も起きてません。
術後日が経つと手術中やその前の痙攣が遅れてやって来たり、身体が覚えてるものが反応したりも有るようなので、まだ今後は分かりませんが。
朝になったからと言って、何か楽になったりはこの時点では特に有りませんが、午前の先生方の訪問で、自発呼吸の安定や意識の確認も出来たので、ここでマスクとフロートロン(足の血栓予防のマッサージ器)と、利き手の指先の心電図モニター(ベッド横用)が外されました!
マスクが全くフィットせず、不快だったので、この3つ外れただけで、開放感は半端なかったです!!
マスク外して看護師さんにお願いして顔を拭いてもらいました。
体調的には、
まず口の渇きが1番。まだ給水出来ません。
午前中に地元に戻る姉が、朝イチで来てくれました!
やっぱりこういう時の身内は安心します!
帰る前、姉の本職の口腔ケアをしてくれて、かなりの!!!!リフレッシュです。
これ、本当に大切な事だと思います。
いつか、自分が誰かのお世話をする立場になった時は、勉強してちゃんとケアしてあげたいと思いました。
身体拭くこと、寝疲れした身体のマッサージと同レベルで、コレは大事なケアだと実感しました。
それから後頭部の創部は鈍痛程度。
点滴にずっと痛み止めが定期的に入っているので、いわゆる切り傷的な痛みは全く有りません。
辛いのは、包帯の締め付けと、髪をブロッキングしたゴムの結び目四箇所の引っ張りと当たりの痛み。
とにかくこれが最悪。
頭全体がガンガンガンガンガン。
創部周辺は、ドクンドクンドクン。
そんな感じです。
用意するように言われたゴムで、持参したものですが、知ってたらもっと細いゴムにしたのになぁ。
身体の重さ、発声する力の出なさはまだまだ有ります。
一睡も出来てない事から、体力はかなり落ちてます。
受け答え、会話が辛い。
うっすら吐き気も有りますが、寝ている分には問題無し。
時々、ブーーーーン、ブーーーーンと低音の振動が左耳から聞こえます。これは、手術中に聴覚神経のモニタリングをする為私が聴かされていた爆音の名残りだそうで、そのうち消えるとの事。
この時点でも、まだただ天井を眺めるだけで、時間が過ぎるのを待つのみ、そして全然過ぎていかない、、、そんな心境です。
本当に元気になるのか、痙攣とかどうでもいいから、コレ全部外してくれ!!
治らなくていいから、包帯も外して!!
と、声にならない叫びでいっぱいです。
そんな中、若手の男性先生と研修医の先生がいらして、術後初の創部消毒です。
1度包帯とガーゼを外し、若手の男性先生が傷を確認。炎症無し、髄液漏れも無しと確認し、研修医の先生が消毒し、包帯巻き直しです。
消毒の為傷口を触られても、全く!!痛み無し。痛み止め凄い。
一瞬でも包帯外して貰えた時の開放感は、つかの間。またギューーーーー!
「コレが痛くて!!」
「術後は仕方ありません」
若手男性医師らしいシンプルなお応え。
その後午前中は、術後CT検査とレントゲン。
10階の病棟から本館地下1階の検査室へはベッドごと移動なんですが、この移動がキツくて吐いてしまう人が多いらしく、気の利く昨夜からの看護師さんが吐き気止めの追加をしてくれました。
帰省するの姉に見送られながら、ベッドごとガタガタガタガタ、、、
確かに振動もやばいけど、天井が動いているのを見ていると酔うので、目をつぶってやり過ごしました。
レントゲンでは、ベッドに寝たまま。背中に板を入れる時だけ、少し身体を持ち上げられますが、我慢出来る範囲で。
CTは、男性二人がかりで、移動の為のシートを背中に敷かれ、シートごとよっこらせ!!と移動させて貰います。
これが結構辛かった。
吐き気止め入ってなかったら、この辺りで限界だったかもしれません。
検査時間は、それぞれ数分で終わりです。
また部屋に戻り安静。
点滴は引き続きずっと続いてます。
身体を拭いて貰い、カテーテルのクリーニング。
暑い蒸しタオルが気持ち良かった!!!
サイコー!
お昼、看護師さん付き添いの元、お水にチャレンジです。
ベッド30度に起こし、身体を支えて貰いながらストローをセットしたお水を口に含みます。
ここでコレが!とうとう出番です。
凄い便利〜、買って貰って良かった〜。
というのも、余りにも喉が乾き過ぎ、最初ほんの数滴の水分でも、誤嚥して気管に入りそうな感じて怖かったので、ストローからが正解。
しかも、ペットボトルに刺さりっぱなしの構造なので、管理も楽チン。
とりあえずここは、おっかなびっくりで喉を湿らす程度で終わりました。
その後ベッドは、10度くらいまでアップ化になりました。
水分取れただけでも、また1つのステージをクリアした気分です。
まるでゲーム感覚のように。
13時からは面会。
母が敷地内の宿泊施設から来てくれました!
創部が頭だけに、来てくれて会話しようにも顔を向けられない。
仰向けで独り言のように話す感じです。
時々横向に体勢を変えますが、まだ補助が欲しい感じの身体の重さです。
この辺りから、寝続けた為の背中、腰の痛み、足のダルさがキツくなってきました。
母の顔を見た瞬間、マッサージプリーズ!!
と思い、看護師さんには頼まない分を年老いた母親にさせる横暴ぶり。
あとは、病院から前もって大判のロキソニンテープが処方されていたので、それも貼って貰いました。
あとは、足のリンパマッサージ。
もし今後の日本の看護業界で、ここまでが通常ケアに入っていたら、術後の緩和はものすごい進化だと思います。
人手不足なのが目に見えてるので言えませんが、システム的に可能になる日が訪れて欲しいものです。
オプション料金取っていいから、看護師さんとは別の術後マッサージ専門の方とか入れて欲しい。
会話はおぼつかなくても、母が来て時間の過ぎるスピードが少しでも早く感じられる午後は何とかかんとかやり過ごせました。
仕事を終えた旦那さんも登場!
3/14のホワイトデーにとチョコレート持参して。
ちょうどその頃には食欲も戻ってそうなので楽しみで有ります。
この辺りから、創部の後頭部を守ろうとする余り、首にかなり力が入り肩こりがキツくなり、今度は旦那に湿布貼って貰いました。
本当にあまやかされてる。
とはいえ、今回の治療は、自分の中ではとにかく我慢をしない事を決めていました。
迷惑はなるべく掛けたくはないけど、痛みや苦痛には我慢せず、緩和する方法がある時は身近な人や専門の方に遠慮なく申し出ようと。
そうこうしているうちに、術後初の夕飯。
60度のベッドアップです。
昼にお水が飲めた事で夕飯が取れる事になります。
目の前に出てきたのは、どんぶり並々のお粥と卵やき??のような固形のおかずや、マンゴーか桃?のデザートとか。お粥以外は通常メニューのようです。
あまり覚えてないんですが。
自他共に認めるものすごい食いしん坊の私が、人生で初めて
「ウッ!!」
見ただけで吐き気を感じました。
お皿に乗っているのが、お粥と梅干しだけならビジュアル的には耐えられたのにー。
本当にお粥3口くらいしか食べられませんでした。
しかもゆっくり、精一杯の。
残念ながら梅干し口に含むまでも頑張れませんでした。
点滴交換や、血圧測定、ご飯の時間は小さいイベントだけど、寝たきりの時には嬉しい気分転換。
しかしながら、旦那も母も帰宅後、また長い長い夜がやってきます。
湿布を貼ってもらったお陰で、背中の痛みはかなり軽減しましたが、横になろうが目をつぶろうが、頭はずっと覚醒したままです。
術後目覚めて24時間経ちましたが、まだ一睡も出来てません。
しかもこの日は、とにかく暑くて暑くて。
身体の熱と外気の熱がぶつかり合う感じ。
こもった熱が出て行く場所が無い感じ。
動けないムズムズ感。
弾性ストッキング脱ぎたいけど、まだ駄目。
目を閉じても開けても変わらない景色と状況。
他の部屋から聞こえて来る点滴終了のアラームは鳴り止まず、そこに重なるように自分のアラームも鳴り続ける。
ナースコールを鳴らしても、夜間は人手不足でなかなか看護師さんは間に合わず。
同室の寝たきりのおばあちゃんの唸り声。
「もう駄目だーーーー!!!!助けて!
こんな手術、やっぱりやらなきゃ良かった!
くるしい、なんで自分でこんな事やるって決めちゃったんだろう。
頭おかしくなる!!!!狂いそう。
全部外してくれ!!!」
て、叫ぶ手前に、手術直前に見た光景が脳裏に浮かんだ。
オペ室から拘束されて発狂してた同世代の女性。
私もおかしな行動取ったら、多分、一部は拘束されるだろうと思った。
大げさだけど、でもどう考えても術後のこの時期はまだまだ心電図モニターも点滴も外すわけにはいかないのだから、病院は仕方なく1部拘束くらいせざるを得ないだろうと思う。
実際に、私の爺さんも点滴抜いて騒いで拘束されてたと聞いてる。
けど、拘束とか動けないとかって本当に余計頭おかしくさせられるということが分かった。
手術って、大変。
昔怪我で入院した時もそれなりだったけど、こんな地獄は見なかったなー。
異変が起きたのは、消灯しても眠れずしばらく経った頃だったと思います。
頭が完全に沸騰しきり、理性が勝って諦めモードになって落ち着き始めた頃、、、
薄明かりの天井にかかる影がなんか変。
消灯後も通路の灯りで結構明るいので、天井にかかるカーテンレールなどは良く見える感じ。
このレールから真っ暗の毛が!!!
頭はクリアなつもり。
けど、何度目を見て開け閉めして見直しても、毛が生えてるんです!ww
開けるたび、少し毛の向きや長さも違ったり
伸びた毛が
「ッパーーーン!ヒラヒラヒラヒラ!!!」
と舞い落ちてきたり。
よーく観察すると、レールだけでなく、影の濃い場所にはほとんど毛が。
私の指表面や、指先に付けてる酸素モニターにも!!!
参りました。
幻覚だなーって、すぐに分かりました。
不快感は不思議と無く、ただ思ったのは、これは一生続いたら困るよなーて事。
その後何時間もこの面白い現象を観察していると、だんだん寒くなり、術後初めて布団を着たいと思いました。
肩まで布団を上げつつ、だんだん心臓がドキドキ。動悸が、、、。
不安になりナースコール。
心電図と血圧の確認。
術後、血圧は150〜から140。
この時もそれを上回ってもおらず、心拍は少し早いけど問題無い範囲。
それを聞いて安心したのか、そこからすっと眠りに入りました。
布団で温まり始めた身体が心地よく。
術後2日弱で、短時間でしたが、ようやく初めて深く深く眠る事が出来ました。